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大阪地方裁判所 昭和58年(ワ)2375号 判決 1984年9月20日

原告

長岡佐智子

右訴訟代理人

仲森久司

被告

山内伸二

被告

山内良裕

右被告両名訴訟理人

川岸伸隆

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一事故の発生

請求原因第1項の事実は当事者間に争いがない。

二責任原因

請求原因第2項の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

したがつて、被告伸二は自賠法三条により、また被告良裕は、民法七〇九条により、それぞれ本件事故による原告の損害を賠償する責任がある。

三損害

1  請求原因第3項(一)の事実のうち、原告が昭和五六年六月三〇日に小松病院で診療を受けたこと、同病院で昭和五七年二月二二日症状固定の診断を受け、同日まで通院し、かつ、翌二三日から同年三月一五日までの間通院したこと、同年四月二二日桂寿病院の診療を受けたこと、星ケ丘厚生年金病院に同年五月二一日から六月一七日までの間五回の通院をしたこと、同年六月一七日から再び桂寿病院の診療を受けて同月三〇日から同年八月二八日まで入院し、その間手術を受けたこと、及び同年八月二九日から同年九月二八日まで通院したことは、いずれも当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すると、原告は本件事故当時夫長岡和夫が運転する被害車の助手席に乗つていたところ、本件事故の瞬間座席の前にすべり落ち、腰部を強打し、特に外傷はなかつたが、その後腰痛を訴え、小松病院でハリなどの理学療法の治療を受け(傷病名は腰痛症である。)、昭和五六年六月三〇日から昭和五七年六月一四日までの間通院(通院実日数一二六日)したこと、原告は、昭和五七年六月一七日から同月二四日まで桂寿病院に通院し(傷病名は根性腰痛症である。)、同病院に入院期間中の昭和五七年七月一九日に髄核摘出の手術を受け、その後リハビリテイションを行つて退院したこと、同年八月二九日から同年九月二八日までの間通院し(この事実は当事者間に争いがない。)、同日桂寿病院において症状固定の診断がなされ、同日までの同病院における通院実日数は合計七日であること、原告は症状固定後の現在においても、月に二、三回程度同病院に通院していることが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  そこで、本件事故に基づく全損害について示談解決済である旨の被告らの主張について判断する。

(一)  被告ら主張の事実のうち、昭和五七年一一月一一日原、被告らの間において、本件事故に基づく損害(損害の全部かまたは一部かは別として)について示談が成立し、被告ら主張の損害金について原告が支払を受けたことは、当事者間に争いがない。

(二)  <証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 被告伸二は、大東京火災海上保険株式会社(以下「保険会社」という。)との間で、加害車について自動車保険契約を締結していた。訴外前田稔(以下「前田」という。)は、保険会社の従業員で、本件事故の担当者であり、被告らから本件事故に基づく損害についての解決を依頼されていた。

(2) 前田は、原告に対し、事前に電話連絡をしておき、昭和五七年二月一日、原告宅を訪れ、原告が本件事故に基づく損害についての解決を依頼していた原告の夫である訴外長岡和夫(以下「和夫」という。)に会い、同人から小松病院の主治医である上田医師に面談するための原告の同意書をもらい、同僚の出雲明と共に上田医師と面談したところ、同医師は、原告の症状固定時期については、原告本人の意向を聞いて決めたい、ということであつた。

(3) そこで、前田は、昭和五七年三月一五日、原告宅を訪れ、原告と和夫に会つて上田医師との面談の内容を話し、原告の症状固定について上田医師の診察を受けてもらいたいと要望したところ、原告もこれに同意し、同日前田及び出雲らと共に上田医師と面談したうえ、同医師の診察を受け、同医師は、同日付で原告の症状は昭和五七年二月二二日固定した旨の自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(乙第二号証)を作成した。

右診断書等により、自動車保険料率算定会調査事務所では、昭和五七年三月二四日、原告の後遺障害について、後遺障害等級表第一四級一〇号に該当する旨の事前認定をした。

(4) 前田は、昭和五七年五月一二日原告宅を訪れ、原告と和夫に対して示談したい旨の申込みをしたが、その際、原告は二〇〇万を要求し、前田は六五万円の案を提示したため、示談は成立しなかつた。

その頃、和夫は、知人であり、かつ、保険会社の代理店の訴外重達雄(以下「重」という。)に対し、本件事故による原告の損害についての解決を依頼した。

(5) 原告は、昭和五七年四月二二日、知人の紹介により桂寿病院で診察を受け、更に同年五月二一日星ケ丘厚生年金病院で診察を受けた。そして同月二四日頃、原告は、和夫及び重と共に保険会社を訪れ、前田に対し、今後は、本件事故に関する解決は一切重に任せる旨伝えた。そのため、前田はその後、重と示談交渉を重ねていた。なお、前記出雲が、星ケ丘厚生年金病院の藤原医師と面談して原告の症状について聞いたところ、腰椎症であるが、本件事故との因果関係は不明である、とのことであつた。

(6) 和夫は、昭和五七年七月一五日保険会社を訪れ、前田に対して、原告は桂寿病院において、手術をしないといけないので五〇万円を支払つてくれ、と要求したところ、前田は、損害賠償金として五〇万円は支払うが、桂寿病院の分については、因果関係に問題があるので、今後は法廷で決着をつけたい、と回答した。なお、前田は、それから二、三日後に右五〇万円を和夫名義の銀行口座に振り込んで支払つた。

(7) その後、和夫は、本件事故について弁護士から法律相談を受け、昭和五七年一一月四日頃、重と共に保険会社を訪れ、前田に対し、明日枚方簡易裁判所に調停の申立をする、原告の病状については、桂寿病院の自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書を持つて来たので、もう一度後遺症の事前認定をしてくれるように、と申し向け、重が前田に対して右診断書を交付した。なお、右診断書の傷病名欄には「根性腰痛症」、主訴又は自覚症状欄には「左下肢痛と腰痛」、他覚症状及び検査結果欄には「両ラゼク腸性30゜〜50゜、アキレス腱反射低下、足背部の知覚低下、長母趾伸筋力低下、髄腟造影にて、L4、5間に椎間板ヘルニアを認めた。」、事故との関連及び予後の所見欄には、「事故との関連は我々は証明することはできないが、引きがねとなつたと推察される。」とそれぞれ記載されており、症状固定は昭和五七年九月二八日となつている。

右診断書を受け取つた前田は、事前認定の手続はとるが、調停の申立に対しては、本件事故による受傷と原告の後遺症との間の因果関係に問題があり、被告らはこの点を争うので、被告ら代理人として弁護士を出頭させる旨回答した。

(8) その後、重は、原告及び和夫と話し合いを重ね、その結果、本件事故に基づく損害については桂寿病院の右診断書による事前認定をするためには時間がかかるので右診断書に基づく事前認定の問題は没にして、既払額を除き一五〇万円で早目に解決する旨の原告の承諾を得た。そこで、重は、昭和五七年一一月九日午前九時過ぎ頃、前田に対し、一五〇万円で解決できないかと電話連絡した。前田も示談をするのであれば、全損害について示談をしたいと考えていたので、その旨を重に確認したところ、同人は、原告も承諾しているとのことであつたので、前田も一五〇万円で全損害についての解決ができるのであれば、それでよい、と回答した。

重は、同日昼頃、保険会社を訪れ、前田から、同人が準備していた原、被告ら及び保険会社を当事者とする人身損害に関する承諾書を受け取つた。なお、右承諾書は、不動文字で印刷されているもので、前田が、年月日、当事者、事故発生日時、場所、事故概況等の各欄の空白部分を補充し、既受領の欄には「一、二一二、〇〇五(小松病院の治療を含む)」、受領額の欄には「一、五〇〇、〇〇〇」と、それぞれ補充し、更に末尾に、「ただし、上記額は後遺症補償費、一四級相当を含むものである。」と補充したものである。

右承諾書を受け取つた重は、原告の意思を確認し、右承諾書の当事者(甲)被害者住所、氏名欄に、原告の住所と氏名を書き、名下に押印して前田に対して右承諾書のうち二通を交付した。

(9) 右承諾書は、原告にも郵送され、これを見た原告と和夫は、「一五〇万を受領したるときは、原、被告ら、保険会社相互間には上記以外には何ら債権債務のないことを確認し、被告ら及び保険会社に対して後日裁判上、裁判外を問わず、何ら異議の申立て、請求、訴の提起等をしない」旨の記載(不動文字)がなされているのに不満を抱き、原告は、その旨、重に電話連絡をし、更に弁護士のところへ行つて法律相談を受けた。

(10) そして原告は、昭和五七年一一月一一日、和夫及び重と共に保険会社を訪れ、本件事故に基づく損害について、前田と話し合い、その席上、原告は、右承諾書の署名捺印は、原告本人が署名したものでないと駄目だと弁護士に言われたので印鑑を持参した、右示談書の後遺症認定は、「小松病院の診断書に依る」ことを書き加えてほしい旨、前田に要求した。

これに対し、前田は、本件事故に基づく損害については、既払額を除き一五〇万円で全部解決するものであることを念を押し、原告及び和夫もこれを了承した。そこで、前田は後遺症の認定は小松病院の診断書による事前認定によるものであるから、右承諾書(甲第三号証)の、ただし書の末尾に、「(小松病院の診断書に依る)」と書き入れ、原告本人は右承諾書の被害者の氏名欄の下の方に署名捺印した。

<証拠判断省略>

(三) 右2の(一)、(二)の各事実を総合すると、原告の本件事故による後遺症について、小松病院の上田医師は昭和五七年二月二二日症状固定した旨の診断をしていること、その後も原告は星ケ丘厚生年金病院や桂寿病院で治療を受け、桂寿病院の小石医師は、原告の後遺症は、昭和五七年九月二八日固定しており、本件事故との因果関係については証明することはできないが引き金にはなつている旨の診断をしていること、原告及び原告の代理人である和夫または重と保険会社の本件事故の担当者であり、かつ、被告らの代理人である前田は、数回に亘り示談交渉を重ねたこと、前田は、本件事故による受傷と原告の後遺症との間の因果関係については問題があり、示談するのであれば、本件事故に基づく全損害について示談したいと考え、その旨重に告げ、同人は、前田との示談交渉の経過を原告に説明し、原告の承諾のもとに、前田に対し、既払額を除き一五〇万円で全損害について示談したい旨の意思表示をしたところ前田もこれに同意し、人身損害に関する承諾書を準備して重に交付したこと、右承諾書を受け取つた原告は、右承諾書に一五〇万円を受領したときは、何らの債権債務のないことを確認し、後日何らの請求もできない旨の記載がなされていることに不満を抱き、弁護士の意見も聞いたうえ、昭和五七年一一月一一日、和夫及び重と共に保険会社を訪れて前田と話し合い、その結果、前田から本件事故に基づく損害については既払額を除き一五〇万円で全部解決するものであることを念を押され、原告もこれを了承したことが認められるのであり、前記認定の本件示談成立に至るまでの経緯、本件示談成立時における原告の後遺症の内容と程度、本件事故による受傷と後遺症との間の因果関係、本件示談成立の時期(桂寿病院の診断書による原告の症状固定日は昭和五七年九月二八日であり、本件示談が成立したのは、同年一一月一一日である。)及び示談額(既払額一二一万二〇〇五円を除き一五〇万円)等を併せ考えると、本件示談契約は被告ら主張のとおり本件事故によつて原告に生じた全損害について成立したものというべきである。

四よつて、原告の被告らに対する本件請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条法文をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(喜如嘉貢)

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